えいみーみちひらく

キャリア、仕事、育児での気づき、モヤモヤをお届け

自分の常識は、世間の非常識

昨日の雨風が嘘のように晴れてきました。

 

先週の後半は時間のやりくりがうまくいかず、記事を書けませんでした。

今日は週末なので、転職ではない話を書きたいと思います。

 

私は小4の男の子、年中の女の子のママです。

子供たちが長い時間過ごす学校や保育園では、保護者のサポートが必要な行事であったりPTAの役員のようなものがあります。子供たちが生活をしている場なので、協力もしたいという気持ちもあり、自分ができる範囲で参加しています。また、息子が少年野球を初めて、保護者同志の関わり合いも出てきました。

 

私は、こういうコミュニティへの参加があまり得意ではありません。

「こういコミュニティ」を、どのようなコミュニティなのかを伝えることが

難しいのですが、例えば、

 

・やらなければならないことが、明示されていない(ゴールが不明)

・結論に至らない話合いが長い

・これまでの前例が大事

・自己犠牲で頑張っている人がいる

 

などが共通的にあるように思います。

呼ばれた会議に参加しても、自分の役割が今一つ分かりません。

去年と同じようにやればよいのかというと、何かしらの変化点があり、

前例の踏襲だけでは上手くいきそうもない状況なのですが、

今度は決める人がいません。

 

このような状況に陥る原因の一つは、手段が目的化しているからだと思います。

「なぜかわからないけれども、その仕事がある、だからやらないといけない」

という状況。

「なぜ、その仕事が必要なの?」という投げかけに対して回答できる人はいません。

 

仕事でもそういう場面は、よくありますよね。

「これまでは、こうしていました」というやつです。先輩社員から言われると、

「そういうものなのかな」、と妙に納得してしまったり、そもそも、会社という

組織にいると社員のゴールは基本的には同じなので、

「そこに向かうためのことなのか」、とあまり考えずに踏襲するという面もあります(時にはそれが大惨事になることもありますね)。

一部には、脈々と続いている業務もあるかもしれないですが、

多くの組織では、人事異動や業務改革等、メスが入る場面があり、

目的から仕事の見直しが進みます。

 

一方、社会生活において、「これ、どうなのかな?」と

自分のアンテナが立ったとしても、アンテナが立つ場面は人によってバラバラ。

それを伝える人もいれば、私のように黙ったままの人もいる。

黙り続けているのも苦しく、伝えた人も言った人も共通言語がなく、

なんだかかみ合っていないまま時間終了。

 

うーん、これっておかしいように思うけれども、そう感じるのは私だけ?

 

私自身の課題意識は、それほどメジャーではないと感じた場面が先日ありましたので、次の投稿でご紹介したいと思います。